コロナ禍で苦しむ日本の友へ、マルクス・ガブリエルの哲学はむずかしすぎてわからない、手がつけられない若者たち、今にも心が折れそうな君たちに、新実存主義を先取りした日本モデル、宮沢賢治の詩集から『春と修羅』一読をお勧めする。英語表記のメンタル・スケッチ・モディファイドとは、様々な気苦労で「移り行く心のスケッチ」、文中のツィプレッセンは糸杉、ドイツ語だね。複数形になっている。糸杉は砂漠にも生い茂る神木、旧約聖書の『イザヤ書』(41:19, 60:13など)参照。
読者も詩を各自読み上げて、心に響くメッセージを一緒に確かめてもらいたい。全文は青空文庫にあり、ダウンロードしてアマゾンのキンドル(kindle)でいつでも読めるようにしておくといい。鈴木大拙(『無心』、岩波文庫)の「動態禅」に共鳴するところがある。『考えるヒント』(小林秀雄)以上に、『理解社会学』(ヴェーバー)への確かな手がかり・先行く道を塞ぐ障壁を超える足掛かりになればいい。
春節の因縁、今日は5月3日、4月にブログ掲載予定だった。『春と修羅』は1922年4月8日の日付になっている。
春と修羅
(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植[ふしょく]の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
琥珀[こはく]のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
ZYPRESSEN[ツィプレッセン]春のいちれつ
くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄[ぎょくずい]の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥[おちい]りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神[そうしん]の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截[き]る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all
reserved 2021, 理解社会学研究所所長・法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員
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