2019年12月15日日曜日

神様は赤ん坊か究極の数式か、知性改善論にスイッチを入れる

 いよいよ、今年もクリスマス商戦が始まる。ITのネットワーク世界に蔓延するやらせレビューの数々、大量の商品レビューを送り届ける仲介業者のたくらみ、AIで巧みに換装されたビッグデータの実態に迫るも、商品に紐づけられた宗教的動機の価値評価システムの暗渠は見通せない。テクノロジーの悪用とやらせレビューに騙されないためには、聖俗のマチュアリティー(成熟性)にまつわる感性と理性の仕切り直しが必要となる。ポピュリズムの偏りを正し、エリーティズムの「知性改善論」に迫るに、神は究極の数式か赤ん坊か、二択のマニフェストで今は十分。
 かつて吉川団地保育園のチャップレンだったころ、大人たちが強いる理想(聖俗の常識)に反して、ふと園児の一人が口にした言葉:「神様は赤ん坊よ」が父兄に笑みを齎し衝撃的な波紋を投げかけた。後がない(跡継ぎがいない)、少子高齢化社会に心して考えるべきこと..
 数式では歴史問題は解けない、ヘロデ王の幼児虐殺令を受けてエジプトに避難するヨセフとマリアのクリスマス前夜の歴史=物語の謎は解けない。でも、あることができる。それはなにかお答えください。さあ、どうぞ。12月17日(火)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2019, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員
                                                                                                     

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