2013年5月14日火曜日

言語道断の人格否定とセクハラ発言(緊急レポート、その二)

[6月29日(土)更新]
 二つのショッキングなニュースが、今日本の政治社会を翻弄し言論界を席巻している(第二部はカット、次のブログへ)。
 一つは、昨今のお騒がせな橋下発言。こともあろうに、沖縄の現地米軍司令官に、「もっと風俗業を活用してほしい」と進言。発言者の日本維新の会共同代表(現大阪市の市長)橋下徹氏に対して、5月14日各方面より抗議の声が上がった。たとえば、「女性を男性の性的欲望の対象としてのみ捉え、女性の人格を否定して蔑視するものとして断じて許されない」(青年法律家協会大阪支部)との抗議声明が出されている。誰であれ、「人格を目的としてのみ扱い、決して手段として扱ってはならない」とするカントの定言命法(『道徳形而上学原論』)を思い起こせば、抗議は至極当然である。 また、戦時下では「慰安婦制度は必要だった」と釈明する橋下氏の不用意(それとも確信犯的?)な発言についても、「戦争中であったから仕方がないかのような言動をとることは、(元慰安婦の女性を)さらに傷付け苦しめる。市長の人権感覚と品位を疑わざるを得ない」と、言葉の軽さに歴史認識の甘さがあると、国内外から厳しく批判されている。
 現に海外メディアからも、、”Sex slaves were necessary”、或いは” ‘Comfort women’ were necessary”では、"anachronistic"(「時代錯誤的・前時代的発言だ」)と厳しい批判の声が聞かれる。これを日本のメディアが、建前上そうであるとしても、ずばり本音を言われては困るからだろうと受け取るなら、相手国を無視したあまりに身勝手な解釈である。公娼制度の「飾り窓」(De Wallen)があるオランダ・ドイツ・ベルギーが相手なら、「何を今更」と苦笑されよう。禁酒禁煙など厳格な道徳観を持つアメリカ、ピューリタンのマスクした国を相手に「建前」を言うのなら、「徹底的に建前で論じる」ことで、それなりに「社会的合意形成」(桑子)が達成されるはずだ。ただ、国際交流には言論文化の違いに注意が必要だという認識以前に、社会言論の因果関係から言えば、誤報の種を撒いているのは本人なのだから、「(マスコミの)大誤報にしてやられた」と、強がりを言ってみても何も始まらない。不本意だとしても、氏の発言は戦後の「赤線」復活を間接的に容認し促していると、揚げ足を取られても仕方がない。橋本氏が視察すべき先は、米州のフランシスコではなく、欧州のアムステルダムやデン・ハーグ、フランクフルトやハンブルクだろう。
 あくまで橋本氏ご本人は、戦争時に暴力的に働くモノ(性的衝動)を兵士がどう処理するのか、合理的な解決策を進言したつもりのようだ。司令官に苦笑され一蹴されたのも無理はないが、たとえ丁寧に言葉を使い分けて、「国を挙げて」(つまり国策として)為されたことではないということで済まされるのかどうか、また同党の石原慎太郎氏が弁護しているように、「戦争に売春はつきもの」でハラスメントの合理的釈明となるかどうか。橋本氏は石原氏と異なり侵略戦争を肯定してはいないが、結局同じ穴の貉(むじな)である。戦時体制の力学で説明しようとすれば、最後は戦争美学を謳歌する強者の論理がまかり通るだけではないのか。「日本だけに限ったことではない」と、特殊性を一般化する意図からの発言であれば、論点のすり替えではないか。貧困撲滅が真意であればなおのこと、女性の人格否定と蔑視を強く臭わせるか煽るような発言の無責任さが問われよう。
 そうならないために、橋本氏へのアドバイス。アムステルダムかフランクフルト、またはハンブルクへ視察旅行に行かれたらいい。(近くに軍港や米軍基地のある)飾り窓で働く女性たちの人格理解と、彼女たちに関する欧州人の人権意識がどうなっているかわかれば、それなりに収穫があろう。沖縄米軍司令官も聞き捨てにできず、違った応答をすることだろう。あなたも変わらざるを得ない。市長のマスクを捨てて、きっと変わるに違いない。
 
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku