2012年8月26日日曜日

ヴェーバーとハイデガー、補助線を引いてみると

[8月28日(火)更新]
 なぜヴェーバーとハイデガーなのか、二者の繋がりが諸君には不思議かさもなければ不可解ですか?ヴェーバー社会学とハイデガー哲学は、決して無縁ではないのです。フッサールとシェーラーを(後にはサルトルをも)厳しく批判する中で、ハイデガーはむしろ意外にヴェーバーと近いところに立っている。それが私の発見であり実感です。理解と行為という、二つの基礎カテゴリーについて、ここで長々と論うことはしません(詳細は、学会発表でのお楽しみ)。自分を知るも悟るも主観的意味の真理探究、いずれも理解のカテゴリーです。それは見性体験や客観妥当な経験の後付け(ゲマインシャフト行為の要件)を必要とします。二人の繋がりは、補助線を引いてみて初めて分かったこと、「私」で有るところの、それ(エス)を係数とする身体現象学の秘密です。
 今振り返ると、意外なところに接点があった。何度も言ったことで諄いようですが、そのヒントは大島淑子先生の『禅‐別様に考える?ハイデガーと禅についての試論』にあったことが分かります。ハイデガー勉強会(公開講座)で何度も読み返し、当時の講演メモをチェックする内に、そうだったんだと改めて感慨深く思い出しています。迫る「縁」(Bedingt-Entstehen)はこれを拒まず、感謝しつつ受け止めたいものです。

Shigfried Mayer, copyright all reserved, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku