2012年5月1日火曜日

新型うつ(鬱)の社会原因、苛立つ自分の曖昧さ

Wie mit der Melancholie umzugehen ist, in bezug auf ihre soziale Ursachen
【5月4日(金)更新】
 うつ(鬱)は心の病で、精神活動が極度の不調に陥った状態を指しています、英語やドイツ語でメランコリーと言うので、誰でも一度は聞いたことはあるでしょう。精神医学では「気分障害」と言い、統合失調症に並ぶ二大疾患の一つですね。気分が高揚すると躁(そう)に、落ち込むと鬱(うつ)になり、山あり谷ありの両極を上下し繰り返す特徴があります。何らかの原因で寂しい・悲しい・虚しい・罪責観に苛まれるなどの気分から、勉学や仕事へのやる気が起きない・集中できない・物事に関心が持てない・感動できないなどの意欲の低下を引き起こしています。一般に、どちらも原因と発祥のメカニズムははっきりとしないとされていますが、恐らく心身のアンバランスから生じることで、疲れやすい・食欲が低下する・眠れないなどの身体面での不調と深く関わっているのではないかと思われます。心理学的な説明は芳賀さんにお任せして、ここではその社会的原因について考えてみたい。
 最近のニュースで話題となっている「新型うつ」は、なるほど症状面ではよく似ていますが、社会原因がややはっきりしているので、同じレベルで片付けることは出来ないと思われます。なぜなら、今の若い世代は昔の人のように責任感の重圧から強いストレスを感じてうつに陥っているのではないからです。社会に適応できない(自分の性や職場にミスマッチである)のも、一種の性格の弱さ(未定義の自己)から生じており、苛立つ自分というものが曖昧であるために陥っている状態、つまり苛々して切れやすいのも、相変わらず後見人に依存した自らの「未成年状態」(カント)と深い関わりがあるのではないでしょうか。
 だから、たとえそう見えるとしても、「自己中心的」という批判は当たりません。むしろシェーラーの言葉でいうと、内奥的人格(Intime Person)も社会的人格(Sozial-Person)も曖昧で未発達なために、未だに自分を探しあぐねている、苛々の原因は其処に始まっている、ということではないかと思われます。その背景には、「ゆとり教育」政策や「新学力観」の影響から、自分で仕事をやり抜く経験の欠乏や自己肯定感の低さと関係してもいるでしょうし、対人関係のスキルの無さや自他の失敗から学べないというのも、学べるはずの場所を奪われたか見失っている、早々に放棄しているせいでしょう。具体的には、親子関係の希薄化や核家族化(家庭崩壊即自己環境の破壊)に起因すると言えます。大学では、個別の問題解決を助けつつ自立の意識を高め、会社では個々に見合った仕事造りを助けつつ、忍耐強く丁寧に職場教育をしていく必要がありそうです。
 理解社会学の工房でも、本腰を入れて、「家族社会学」を展開する必要がありそうですね。準備が出来るまで、今しばらくお待ちください。さしあてりここでは、諸君の率直な意見を聞くことから始めたい。

Shigfried.Mayer, copyright all reserved 2012, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2 件のコメント:

  1. 従来型のうつはMelancholieですが、昨今取り上げられる新型うつはNervositaet、あるいはそれ以前のnervoesの一形態かと私は思います。いずれにせよ、先生のおっしゃられるようにこれまでのうつと同じレベルで片づけることはできないでしょう。

    新型うつに関して(家族)社会学的観点から論ずるならば、土居健郎の甘え理論が示唆に富んでいます。しかしそれについて私はまだ勉強中のため多く語れません。

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  2. おっと、一瞬お株を奪われたような予感が…(笑)、土井さんの甘えの理論については、いずれ家族社会学を論じる中で取り上げる予定です。大震災の体験から温もりのある家族の「絆」の大切さをいやと言うほど教えられた今日、甘えの構造を含め依存関係の正しいあり方を見直さないといけなくなりましたね。本気で向き合おうとすると苛々が募るばかりで、「自分」のことは棚に上げて、結局それも「成人」社会の言語体質(曖昧な日本語)のせいだと抗議する・いきり立つ人まで出てくる…わけでしょう。

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