2013年11月2日土曜日

怪人オペラは代役者 (?)、日雇い職人の失踪とグーグル化の功罪

【11月7日更新】
 3年前には、働き蜂世代の高齢者が失踪する事件があった。今日では様相が少し異なる。正規であれ非正規であれ、世代や年齢を問わず、職人や労働者(opera-rius)が仕事場を失い、いつの間にかいなくなる・失踪するという話が、最近身近によく聞かれる。働きまた仕事はオペラ(operaまたは opus)という。ドイツ語でオペラは「歌劇」となるが、ここでの話題はオペラ座の怪人劇と直接の関係にはない。失踪事件についての詳しい実態は、後で調べて報告することにしよう。今回は、それにまつわる別の話題を取り上げる。
オペレーション(Operation)という言葉を知っているかな。オープス(仕事)を積み重ね、オペラ(製品)に仕上げる職人の作業だね。オペラと言えば、長い間重用(ちょうよう)してきたブローザーのオペラ(Opera)の調子が、最近どこかおかしい。しばらく前から、オペラに備え付きのグーグル検索で日本語の文字を入力しようとすると、漢字変換がうまくいかない。子音と母音がバラバラに(例えば、宮は「m_い、y_あ」、記録は「k_い、r_お、k_う」)と表記されていた。それでも検索結果は正しく表示されていたので放置していたら、いつの間にか不具合は修正されている。
ところがである。最新版のオペラ (17.0.1241.53) で、変換の不具合が修正されたのはいい。しかし自分の履歴を残せない、足跡が消滅してIDを確認できない。よくみると、グーグルの履歴になっている。つまり、オペラがオペラとして認識されていない、グーグルとしてのみ認知されているということだ。さっそく原因をリソースで詳しく調べてみると、グーグルのそれとそっくりに書き換えられている。意図的に、そういう仕様に造り替えられたのだろうか。アクターであることをやめてエージェントに成り下がったか、まさか身売りしたわけでもあるまい。なにもそこまでしなくてもいいのでは、という思いを募らせるのは私だけだろうか。
グーグルと同じモジラのリソース(IDは同じMozilla 5.0)であるとしても、これは仮の話であくまでも推測だが、手直しの結果が全面的にグーグル化されて、フェイスの個性IDを失い自己消滅してしまうというのでは、あまりに悲しい。同じモジラ系のファイヤ・フォックスでさえ、頻繁に改訂しても認識IDだけはきちんと確保しており、履歴の処理はユーザーに任されている。なぜ「オペラの怪人」は、一級労働者の失踪事件よろしく、自分のIDを明け渡して姿を消してしまう(或いはそのように見せる)必要性があったのだろうか。残るはオペラ(製品としての労働者)の仮面だけで、あとはキャピタルゲイン(利益確保)に奔走するグーグル(資本家・経営者)のトルソー(胴体)でしかないのだとすると、どうしたんだ!と叫びたくもなる。
(補足; 私自身、履歴は努めて消すようにしているので、どちらでもいい話ではあるが、認識IDに関する限り、長年にわたるオペラの愛好者として、また「日雇い職人・非正規労働者」(オペラーリウス)の立場を案じる身としては、気になる、笑えない、聞き捨てならない話だ。)

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku

2013年10月16日水曜日

いい加減「そのつもり」をやめないと、「ぶりっ子」では一生埒が明かないよ

【10月22日(火)、2014年3月12日(水)更新】
最近、大学生に限らず小中高生を指導する機会が増えた。そこで気づいたことがある。わかった「ふり」をする、またはわかった「つもり」でいる、ふり・つもりでその場をしのぐ学生や生徒たち、「ぶりっ子」(江口寿史)が非常に多い。なぜだろうか。中には、お世話になっている両親や先生には迷惑をかけたくないという、優しい気持ちからそうしている子も確かにいる。でも、大半はよい子ぶってそうしている。わかったふりをしていると、何も新たに学べない。わかったつもりでいると、学ぶべきポイントを見逃してしまう。だから、(絶対評価でも)成績が伸びないのは当然である。
おそらく、彼らが就職して社会人になっても、同じことの繰り返しになるのではないか、と危惧している。一応考えたつもり、わかったつもりで対応している内に、役に立たない奴だと見捨てられよう。そう、「ふり」や「つもり」は見せかけ(建前上)のことだから、本音では上の空、現に何の成果も期待できない。ならばいっそのこと、自由人のふり・つもり(未成年状態)をやめて、成人した自由人で有る「かのように」振舞う覚悟を決めてはどうか。「かのように」とは、森鴎外の小説でもあるように、現実ではまだそうでないのに、すでにそうであるもの「として」自分を見なし、そのように見なされた自分(社会的自己)を引き受けることで考える我を取り戻し、見せかけの自分(未成年状態)とは手を切る、即刻おさらばすることだ。
ただ教育の上では、子どもたちを「その気にさせる」必要があろう。背伸びしてもらわないと、成人にはなれない。彼らが社会人になった後では、自分の言動に責任を持たせる意味で、個人レベルでの「自己言及性」が問われる。しかし、肝心の社会的自己が曖昧だと、仕掛ける方も仕掛けられる方も同じ穴の貉(むじな)となり、、一緒に罠にはまって抜け出せなくなる。とにかく、国民を「その気・そのつもり」にさせないと、政治も経済もうまくいかない。さぁ、ここが考えどころ。では、大人げない騙しあいに終わらせないためには、どうしたらいいのか。「ふり・つもり」の実態はともかく、実際にその気になって行動をするかどうか、最後は「自己言及性」を引き受ける諸君の覚悟性如何だろう。
宗教的ゲマインシャフト(お寺や神社や教会)でも同じ。「我、知らんがために信ず」(Credo ut Intelligam)というアンセルムスの言葉がある。しかし、信じてもわかったつもりで終わっているケースが多い。牧師でも信徒でも同じ。わかったふり・悟ったつもりの顔(マスク)をして、偉そうに先生ぶったりよい子ぶったりしていると、君は思わぬしっぺ返しを食らう。信じているとは口先だけで、神や仏のことを真面(まとも)に考えることをしない。まして、真理のことなど深く追及しない。だから、一向に討議も交わりも深まらない。その方が楽ちんだから、考えることなどしない、とっくにやめている。パウロは口やかましいから嫌だとか、「赤肉団上」(臨済)の真剣勝負は疲れるからと嫌々している内に、木偶の坊か唐変木になる。仏や神を「信じる」と言いながら何も「考える」ことなく、自然と恩寵の一見矛盾した働きのなぜを問わずにいるとね。単なる無為無策と「安心無為」とは違うよ。やはり、「つもり」の本気を行為で確かめ合う、壁周りの切磋琢磨がないと、どこかタガが緩んで無責任になる。緩みがひどいと何を言っても不毛だから、お尻を叩いてもらうか喝を入れてもらわない限り、とても「諒解関係」(ヴェーバー)など育たない。その点で、禅だけは違うのだろうか。「考え中」を理由にもたついていると、即座に棒で一発叩かれるか、お叱りの一喝を食らう。手痛くても、実にありがたい(笑)。

Shigried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku

2013年10月2日水曜日

寒露の季節、旧稿に「大なた」、新稿に「大わらわ」の近況報告

秋分の日(9月25日)はとっくに過ぎて、寒露の季節(10月8日から)となりましたね。見渡せば、いつの間にか、至るところが秋の深まりを色濃く感じさせる今日この頃。私が今していることといえば、一昨年のプラハ講演の原稿に「大なた」をふるい、新たな論文(書き下ろしの新稿)に仕上げるために「大わらわ」の毎日。長年の課題だった「史的ダルマの壁観」について総括する傍ら、「一般社会学言論講義」の草稿造りに、余念なく溌剌として取り組んでいます。そのせいか、とにかくお腹が減ります(笑)。
ところで、大わらわは漢字で「大童」と綴ります。武士が戦場で「髪を振り乱して奮闘する」ように、企業戦士が「形振り構わず仕事に打ち込む様子」を表しています。それにしても、なぜ「大童」と書くのか、三省堂の『漢字海』で調べても、肝心の記述はどこにも見当たりません。『平家物語』に、「兜も落ちて、おほわらわになり給ふ」とあります。「童」は「わらべ・わらわ」の読みなので、子どもが我を忘れ夢中になると髪が乱れることから、大人が兜を脱いで大の童よろしく、髪を振り乱し夢中になって仕事に取り組んでいる姿を、大人げなく燥(はしゃ)いでいると、揶揄しているのでしょうか。語源辞典では、「童」は3歳から10歳くらいの元服前の子供で、髪を束ねないで垂らしている姿を指すとのこと。髪の乱れの形容から生まれた言葉だったんですね。他方、「童」にはなぜか「頭髪が抜け落ちている」という意味もあるようで、抜け毛が気になる私には、こちらも気にはなりますが(笑)。
 それはともかく、年内に論文をドイツ語で完成させる緊急の必要性があり(大学の紀要掲載は2014年6月予定)、ブログ記事に時間を割く機会が減りそうです。そのため、師走に予定している年次総会を除き、毎月開かれている理解社会学研究所の読書会等は、しばし休会とさせていただきます。ご了解ください。(10月8日更新)


Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku

2013年9月18日水曜日

《手作業》で楽しむモノ造りの原点、XPをセブン化する(改造マニュアル)

【9月27日(金)更新】
書斎兼事務所には、まだ3台のXPマシーンがある。その内、最近まで使用していた旧主力マシーンを Windows 7 に改造した。マザーボードはAsus製(B85M-E)、その他必要な部品をドスパラで買い集め、すべて手作業で組み上げた。マニュアルを手順と言うが、手順書にこだわらず、長年培ってきたプロ並みの勘と技術で、6日間で仕上げた。久々に味わうモノ造りの充実感だ。
8年間使って金属疲労を見せていた旧主力機が、Windows 7 Pro の翼をつけて、いま見事なフェニックスの雄姿を見せ始める。筐体が Muse なので、雄姿というより見た目にかわいらしい飛鳥のイメージ。メモリーも8ギガに増やし、新たに購入したMicrosoft Office Pro に一新して執筆環境は整い、研究書の再版・新版に向けて内実共に意気揚々である。
三菱のブラン管モニターは3年前にすでに壊れ、頼みとしてきたNanao FlexScanモニターも1年前からお疲れで半壊状態。高価な国産品に買い替える余裕なく、安価な(韓国製LGと台湾製ACERの)液晶モニターを二つ購入する。世を挙げてみんなが、やれi-Phone だやれi-Padだと騒ぐ中、働くモノを見る手動環境は一応整った。唯一の贅沢品は、GoForce GTX 650チップのグラフィックボード(LEADTEK)。今のところ、これで満足している。残る2台のXPマシーンは、いずれ年内にリナックスで再構築する予定。
改造に際して予期せぬ事態が幾つかあった。一つは、Win 7 の設定ファイルデータをバックアップしておいたのに、Win 7 Proではこれが認識されず大半復元できなかったこと。泣く泣く(内心では、しめしめと笑みを湛えて)ソフトはすべて手動で再インストールした。手動は確かに面倒だったが、それはそれ、けっこう愉しみガイのある作業だった。結果は良好、実は古いソフト(大半は32ビット対応)は新しいOS環境(64ビット)下で使えないものが多い。必要なものだけを再インストールすることで、レジストリー関連で無駄がなくなり、その分スリム化し動作が軽快になった点はいい。二点目は、XPでアンインストールするのを忘れていたために、版権上の理由から幾つかのソフトを買い替えなければならなかった。三点目は、ドキュメントの所有権を刷新したので、元に戻せないなどなど。今更二重ブートにしても、どうなるものか疑心暗鬼している。
改造の注意点: くれぐれも上書きインストールしないように!ドライバーの違いなどからトラブルの元となる。またXP自体の改造より、Win7が動作する環境を先に作る(新しいHDにクリーンインストールする)こと、これが一番安全で最も基本的なコンセプト。その後で、XPで使用していたHDを繋いで、データを移行すればいい。但し、最近のマザーボードにはSerialATAのコネクタしかないので、XPで使っていたIDE-HDが繋げない。そこで、Centuryから販売されている IDE-SATA変換アダプターを使って繋いでみた。しばらくはうまくいっていたが、時々認識されなくなる現象が起きるようになった。つまり、ドライブが見えたり消えたりの大忙し(*)。何とか必要なデータだけはコピーして取り出したが、トラブルがあったと言えば、これくらいである。
結論、①手作業(ハンドワーク)はモノ造りの原点である。工作は楽しいから、ホモ・ファーベル(homo faber)で有ることは一生やめられない(笑)。それは働くヒト自身の改造にも係わること、君たちにもお勧めしたい。便利なスマートフォンで鈍った悟性(理解し判別する力)がリフレッシュされよう。②引っ越しお任せソフトは一切使用せずにすべて手作業で済ませたので、経済効果は抜群。浮いた資金は次に備え貯蓄できた。トータルで部品の7万円+ソフトの2万円=計9万円の出費だが、ショップで完成品を買えば18万円を下らない、付加価値の高い立派なものに仕上がった。手作業が節約に役立ったことは、言うまでもない。
(*)対策として、MCO㈱ミヨシのSATAケーブルを新たに購入し、付属していた脱落防止用のタグをつけたら、その後比較的安定している。

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2013年9月4日水曜日

一杯の茶でブレイクする新たな世界、詩人・塔和子さん追悼記

 2013828日、ハンセン氏病の詩人・塔和子さんが、83歳で逝去された。心より、追悼の意を表したい(9月6日更新、データ補正)。
 振り返れば、あれは196312月のこと、わたしが高校生で若年18歳、クリスマス祝会を開くために大島青松園を訪れた時、あなたは一夜明けて次の日に、わたしを自宅に招待してくれた。洗礼を受けられる一年前、クリスマスの祝日でしたね。何気なく差し出された茶碗に手を付けて、ためらいつつも飲んだわたしを、固唾を飲んで見守ってくれた塔さんの、あの熱い眼差しを忘れることができない。菌が外に出ないという意味で健常者の扱いを受けているとしても、その人の茶碗で飲み物を口にすることは危険だとされ、少なくともひどく憚られていたから。誰がためらわないでおれようか。
 一瞬のためらいにも、薬師の神を信じあなたを信頼して茶を飲んだ(未成年で怖いもの知らずの)僕を、驚きを隠さず目を細めて見守ってくれた。塔和子さん、心を揺さぶるたくさんの詩をありがとう。安らかに眠れや主のひざ元で、天窓の星の光となって輝けよ、闇夜に舞う風光の美・いのちの詩を歌うあなたの声を、いつまでも天地に響かせ僕たちに聞かせてよ。

 朽ち行く存在の深み(混沌の淵源)を看破し、無の苦衷から命を謳い上げる(「本質から湧く言葉で」、大岡信)謳う詩が数多くある中、今でも私の心に刺さる塔さんの詩、「新しい世界」は一見何の変哲もない詩のようだが、自分の殻を破れずに鬱に陥り、四方壁の孤独な世界に引きこもる君、就活で疲れ路頭に迷い立ち竦んでいる君たちへのメッセージだろう。破って飛び出そうとしても、(当時は)不治の病のため一歩も島の外に出ることが許されなかった人の歌である。
 
*詩のモティーフとなっている聖書の言葉、マタイによる福音書9章16-17節については、2010年12月に投稿した5番目のブログ「ワイナリー革新の技法」を参照のこと。
「破る」はブレイク、「破れた」はブロークン。「破って出る」はブレイク・スルー。その意味で何度も読み返してみて欲しい
(以下は『いのちの詩』から、塔和子詩選集、編集工房ノア、2003年、41-43頁)
 
 「新しい世界」


破れたものは
繕わぬがいい
繕ったところで醜さばかりが残る

太陽は雲を破って光りを漏らし
蝉は殻を破って飛び立つ
私は心の破れ目から言葉を引っ張り出す

物の破ればかり繕っている貧乏所帯も
破って飛び出すところがあれば
破るにこしたことはない

破る破れ
破り破れる
破って捨てよう合わなくなった小さな服
小さな城
破って飛び出さなければ
自分が縮むだけだ
破ったら
破ったものは気前よく捨てよう
破れた夢も
壊れた話も
夢よもう一度などと
みみっちいことを言うな
出てきたところは
いつも
 新しい世界だ

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku