今なぜ再度、宮沢賢治の『春と修羅』の話かといえば、春はスプリング(Spring)、新芽を膨らませ葉の表面を「張る」季節、もともと「跳ねる」意味があることから、バネ(弾力的なスイッチか安全弁のホック)を指す。どのような変異ウイルスのリスクに晒されても動じない、跳ね返す心のバネ、柔らの術を身に付ける、コロナ禍のカオスに惑わず獣道に迷わぬよう、自分のルートを探りあて、根源(Ursprung)から離れた距離と角度を測るのみ。
猛暑の夏場に終戦日を迎え、DXの商機にもたつきながら、水分塩分の補給だけは欠かせないが、強靭なシステム体に心のバネがない(springless)と、弱り目に祟り目(Weak eyes and course eyes, or: Misfortunes never come single [singly].)、話題中のローコードにノーコード、せっかくのアイディアも絵に描いた餅になりかねない、社会的自我も内奥的自我も仕分け漏れ、戦わずしてホックを失い衰退する。
サイクルエラーなどこわくない、ビンエラーがなくなるまで、シンプルに何度も流し直せばいい。解釈は力だからね、ワクチン開発でも然り、最新情報に絶えず更新しないと、効力を失い萎びて使えなくなる。8月31日更新
宮村重徳(Shigfried Mayer), copyright © all reserved 2022, 法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員
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