2019年8月19日月曜日

中国官僚と貨幣経済、鉄壁の官僚システム?

資本主義社会の未来にマックス・ヴェーバーが生前に予見した『鉄の檻』(アーサー・ミッツマン、創文社、東京2003年)を参照せよ。中国の隋・唐・宋の時代に科挙制度(国家公務員試験制度)が成立。科挙候補生は、教養を積んだ単なる読書人でない。その証拠に彼らは「士太夫」となり、中国禅の文化を育んだ経緯あり。士太夫は、文科として共産党支配下でも鉄壁の官僚システムで影の担い手となり、武科と共に国家資本主義の二本柱(屋台骨)となっていよう。武警は共産党の公安担当か、士太夫候補の香港のデモ隊を威嚇し抑圧するようでは、言論の自由と市場の競争原理を尊ぶ資本主義体制に似つかわしくない。
世代交代に伴う関係者の残虐な抹殺の歴史に於いて、中国と韓国に差はないように見えるが、習近平と文在寅、統領の資質(言語運用)を問い質せば、必ずしも同じではないことがわかる。中国では限りなく疑わしい。発話に慎重な習近平の中国に対して、文在寅の韓国に自由競争の条件は揃っているが、統領が左派系出自でも口が軽すぎるから、外交関係で信頼を失う。国を代表するプレジデント自身が饒舌なアジテーターでは困ったこと、内政固めが理由であるとは言え、意見がころころと変わるようでは外交は覚束ない。財閥優先の歪みを正せない、結果:国際政治の「諒解関係」は成り立たない。「士太夫」不在が天下の分かれ目、中国と韓国の決定的差分である。
中国禅は朝鮮半島を素通りし、鎌倉時代の日本に定着する。達磨の禅(「安心壁観」)は国際平和の良心、シングラリティーの懺悔式に結実する。ヴェーバーの『理解社会学』は、諒解し懺悔する良心の証である。もっとも、アメリカ合衆国のドナルド・トランプや日本の安倍晋三がその良心を代表するとはとても言えない。次世代の士太夫(しだゆう、ドイツ語でリテラーテン、文士)たる、大学生読者の君たち自身が問われ求められている!
19月30日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2019, the Institute for Interpretaitive Sociology Tokyo、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

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