2014年6月19日木曜日

暴力の津波を食い止める、安心の壁はないの?

津波の暴力は自然的経緯、暴力の津波は人為的災禍です。憎悪の連鎖に歯止めがきかない。イスラエルとパレスチナの紛争は最近鎮静化したように見えても、隣国のシリアとイラクでは、政権派(シーア派)と過激派(スンニ派+)による宗派間の殺戮行為が、絶え間なく繰り返されています。欧州ではウクライナとロシア、アジアではインドと中国でも、隣国との諍いが暴力沙汰となり、政治家も宗教者も血眼となり、世界中が戦争の渦に巻き込まれています。心底安心できる壁(平和の砦)、戦争行為を食い止めるスーパー堤防がないものか、皆が疑心暗鬼していることでしょう。シリア・イラク・アフガニスタンから中国の西域にまで伸びるルートは、かつて栄えたシルクロードではないですか。私が今研究している史的ダルマ(菩提達磨)は、「如是安心の壁観」を教え、平和と喜びをもって生きる「道」を実践していたのです。28代目の仏祖と言われる彼は、宗旨を超えた平和の使徒だった。驚きでしょうか?まだ、驚くには早い。彼がユダヤ系の人だった(可能性が高い)と知って、誰が腹を立てるでしょうか。
現代は情報社会なので、どこでどのような紛争が起きているか、すぐわかります。情報技術が発達していなかった時代に於いても、紛争や戦争は多発していたが、一般に知られていなかっただけでしょう。おそらく「戦争の歴史」という刻印を免れる例外は、どの時代にもなかったことでしょう。暴力は外部から加えられるものとは限りません。ヒト存在の内部でも衝動が妄想を生み暴発して、自分だけでない、友人をも苛めたり苦しめたりするじゃないですか。仏教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も、隠す仕方で露わになる存在の真理をハイデガーに学び、世界平和実現の為に「無の壁となって働くモノ」を、ダルマに学ぶにまたとない良いチャンスです。
青年諸君は、阿部政権下で目下進行中の「集団的自衛権」を巡る憲法改正と解釈論争が、自分たちにとってどんなに危険なことかを知り、戦争準備の為の解釈変更の試みに、きっぱりとノーを言わなければいけない。もっと積極的になって、自分の「良心的兵役拒否」権を主張し、平和の手足となって働かないといけない。そのように思う次第です。6月21日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2014, the Institute of Interpretive Sociology, Tokyo