2014年1月1日水曜日

年頭所感: 不在の仕方で現前する、「神即自然」の《身振り》に学べ


 

 スピノザが「理解社会学の祖」だというのは、ユルゲン・ヘレ(Jürgen Helle)のテーゼです。『エチカ』の各論ごとに随所で、「わたしは~と理解する」(intelligo)と繰り返していることから、それなりの説得性はあります。但し、働くモノとしての神は非人格性で一貫しており、目的合理性を寄せ付けない。その点で、我が思う主観世界の存在基盤(近代人の分裂症的自己理解)を揺さぶり、社会学思想さえも「脱臼」させるほどのすごいインパクトがある。中でも『神学政治論』は、ヘブライ語法を駆使した先駆的聖書解釈(高等批評)で物議をかもした経緯があり、これを社会学言論の課題として読むと、もっと面白いですね。とにかく、今年は(個人研究の枠内ですが)スピノザを論じることで、法政大学大原社会問題研究所の嘱託研究員としての役割が果たせるものと考えています。初代の大原孫三郎先生がクリスチャンであられたように、牧師を兼務する私が研究所に貢献できるよい機会ではないか。そのように考えて、「神の身振り・目配せのみによって動かされる」(Nos ex solos Dei nutu agere)存在を紐解き、「天馬」スピノザに於いて働くモノが何かを見届けること。生成する現実から目を逸らさずに、しっかりと神即自然に向き合いたい。これを以て、実りある一年の事始め、今年の年頭所感としたい。(1月7日更新)
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