2013年3月28日木曜日

サプライズの中国、共産党国家の変貌と資本主義化の謎

【4月14日(日)更新】
 講談社現代新書で最近発売された「おどろきの中国」は、橋爪大三郎先生と交わされた師弟間の座談会記録ですね。橋爪先生は単なる知識社会学者でない、その枠を超えた識見の広さ、歴史理解の深さに驚かされます。改めて氏に共感しつつも、近現代中国における社会言論史についての明確な言及がなく、天安門事件来の文革について論じられる際にも、民主化運動と言論の自由弾圧を巡る反省的総括討議が聞かれないか、なぜかはっきりとしない。何らかの理由で、あえて控えられているのでしょうか。なので、サプライズといえども、わたしの評価はとりあえず「はてな」マーク付きです。
 中でも、中国共産党支配下の「国家」?に資本主義化を促すエートスについて論議されているところが一番興味深い。中国は「そもそも国家なのか」という問いから掘り起し、現地を旅してデータを収集し、歴史のルートをたどりながら問題提起しておられる点は半端でなく、具体的で高く評価できます。確かに、文革は儒教社会の自己否定ですね。但し、すでに座談の相手をしている大澤・宮台両氏も指摘しておられるように、道教(タオイズム)についての橋爪先生の評価は低く、「科挙に落っこちた人のため」の個人救済宗教となる。「その説明にはすごく納得してしまうが、ちょっと道教がかわいそうな感じがする」(大澤)。同感ですね。
 と言うのは、中国史において道教(タオイズム)が果たした役割は、先に挙げられたエートスと無関係でなく、繋がりはもっと大きいと思うからです。改革開放路線の政治家にとって、橋渡し(埋め合わせ)の動機がプラグマティズムであれば尚のことです。なので、注意が必要でしょう。マックス・ヴェ-バーが「儒教と道教」を書いた時のリソースには文献上の借用感がぬぐえなかった。それに対して、橋爪先生の理解は現地を旅しての生の分析なので納得するところが大だとしても、それでもなにか釈然としない。タオイズムは、中国哲学や宗教(禅仏教)の発展に大きく寄与しているので、私見ですが、働くモノ(エートス)を考える際には欠かせない、歴代の中国官僚たちにとっても見逃せない何か、重要な隠れた実践的動機(エートス)を提供していないかどうか、吟味する必要がありそうです。
 他方、毛沢東亡き後、客家(ハッカ)出身で「中国のユダヤ人」とも称される鄧小平の改革路線を受け継ぐ、資本主義化した今日の中国共産党の政治が「神政」(テオクラシー)、つまり「神権政治」だと理解されている点は、もっと興味深いですね。「おどろきの中国」は、ロナルド・コースの「中国共産党と資本主義」と合わせ、一読をお勧めしたい。
 但し書き: 談話集であれ、こういった記録が中国の覇権主義的な外交政策や言論の自由を許さない政治力学に利用されないかどうか、不安を抱く読者がいてもおかしくない。でも、心配は無用でしょう。どんなに貴重な情報であっても鵜呑みにせず、自分の悟性を使い分別し、批判的理性でもって読み解くよう、細心の注意を怠らなければいいのです。最後は日本と中国が「諒解」し合い、思想と信教の自由人で構成される平和国家の共存を、目的合理的に模索することが望ましい。これを実現するためには、これまで以上に理解を深めつつ「徳をもって接する」(稲盛)必要があるでしょう。
 蛇足: 二度目に読んでわかったこと。不思議に納得させる説明文の件は、奥様が中国の方であるという理由によることで、身内の目線でしか見えない・理解できないことが、随所に例証としてフィードバックされているのではと感じるのも、そのせいでしょうか。人権を巡る民主化運動や言論の自由を巡る刺激的な議題が控えられている理由も、さしあたりそこから理解できそうです。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku

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