2011年7月18日月曜日

熱いうちに叩かれよ、「我思う」為政者への勧め

Schmiede Eisen, solange es heiß ist. ein Rat für den Staatsman, der selber denkt. 
【9月8日(木)更新、付記】
新聞各紙の任意的報道(不特定多数を対象とした怪しげなアンケート調査)による、人気動向を気にする必要はない。それより、菅直人さん、もしあなたがドイツのメルケル首相に共感し、本気で脱原発は必要だと「わたしも思う」と言うのであれば、ご自分の主観性の格率を高めて、国民の誰もが納得する経験妥当(実現可能)な政策を打ち出さなければならない。客観的に有用なデータを収集するためには、まず抵抗する官僚たちを上手に使いこなす知恵が必要とされる。その為に、経済界の不安を払拭できるエネルギー政策転換の具体案(選択肢のある複数案)を提示しないといけない。そうしない限り、到底国民的コンセンサス(共感と同意)は得られない。この点では、7月12日(火)のBP Netmailで配信された大前氏の提言は有効且つ適切である。→ 大前研一:原発再稼動への合意形成プロセスを提案する [ BPnet mail 07/12 ]
 政治家としての閃きを思いつきだと思わせない工夫があなたには足りないか、周辺がうるさすぎて、政治家として「我思う」あなたの真意が伝わってこない。国難に際して思うところが私念でなく政治理念であると説得する何かが足りないか、倫理感の麻痺した言論人(ジャーナリズム)の喧噪だけが目立ちすぎて、震災復興内閣の真剣さが伝わってこない。「我思う」あなたの国家ヴィジョンを捨ててはいけない。むしろヴィジョンを持つ指導者は、自らの意志を鉄(マテリエ)のようにして、まだ熱いうちにこそ鍛えられ、しっかりと叩かれて初めて、国民に仕え働くモノ(為政者)としての見事な形状(フォルマ)が得られる。もちろん、内外の脅威により形状が崩れ暴走しないよう、天地の二重の扉に「閂」(かんぬき)を通した安心の門としなければいけない。こうして、安心して住める美しき故郷(生活世界)再建の礎となし得よう。脱原発を主導し、原発の利権を巡り経済産業省の背後で暗躍する面々を叩けるのは、差し当たり今はあなたを置いて他にはいないように見える。「我思う」あなたの脱原発ヴィジョンを曖昧にせず、むしろ確かなものとせよ。主観性を経験妥当な諒解ゲマインシャフト関係の要件に高めるために、国家戦略室にブレーンを集めてもっと(ヴェーバーとハイデガーを)勉強しなさい。有無を言わせず国民にはっとさせ「なるほど」と思わせる(共感をもたらし説得できる)かどうかは、真摯に「我思う」為政者の優れた主観性に根ざした社会政治言論の美学的課題である。
 考えるヒントは幾らでもある。例えば、先日ドイツのヴェルト誌(welt.de)に、Steuerbuerger氏の Einklappenという書き込み記事(ツイッター)が掲載されていた。これはその一週間前に掲載された福島第一原発事故の日本側レポートに対する、ドイツ市民を代表した一読者としての率直な意見である。
“In Japan wurde untertrieben, in Deutschland übertrieben - gleicht sich aus.”
原発のリスクが「日本では過小に、ドイツでは過大に扱われてきた。これ(両極端)は調整され均される」必要がある。とすれば、その調整ポイントが何か・どこに有るのかを、しかと冷静に考えよという提言であろう。したがって、単なるシンメトリー論をいうものではない。過小と過大に評価ポイントが別れるのは、紛れもない言語感性の違いにある。嫌なものからは目を背け、(ばれない限り黙して語らず)言わず終いの一方と、何であれ「語り尽くされる」(zer-reden / Heidegger)他方とで、言語文化の隔たりが余りにも大きい。厚生労働省の抱える問題については、菅首相もよくご存じだろう。しかし肝心の障壁は、巨大な利権の絡む経済産業省とおつむが旧態依然の文部科学省である。特に後者の(言語制度)改革が、明日の日本を左右しよう。菅さん、僭越ながら進言したい。何事にも怯まず、泰然自若として大なたを振るいなさい!人気は結果として後から付いてこよう。


付記: その後首相が菅氏から野田氏に交代したが、誰が首相であろうと、上で述べたことは妥当する。「回転ドア」の首相と揶揄されないためにも、後継者はしっかりと自分の肝に銘じてもらいたい。

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