2011年12月11日日曜日

「目白押し」のXmas-豊かさと貧しさの記号論

Was dem Weihnachtenmarkt  fehlt,  zur Semiotik des Reichtums und der Armut
【12月14日(水)更新、改題、イラスト挿入】
 本格的なクリスマスシーズンを迎え、日本中が震災からの復興特需に肖ろうとして、どこも商いで大忙し。ですが、売りに出されている物と言えば、クリスマスとはおよそ無縁の "X"mas の特価品ばかり。目玉商品というと、クリスマスの時期に乗じて発表される新製品でしょう。例えば、目を見張るダイヤの指輪であったり、お買い得のドレスやバッグに乳母車付きであったり、最先端技術と流行を生かした新車やパソコンであったりします。特製のクリスマスケーキは欠かせないとしても、クリスマス事件の本体に代わる目玉とは言えません。流石に(かつてのキリスト教諸国である)欧米では、クリスマスの工芸品が「目白押し」と言ったところでしょうが、これは装飾品の類です。押し出された子が端っこに行って、中にいる子を押し出すゲームのように、クリスマス祝会ではぐるぐる周りの押しくらまんじゅう、目玉のプレゼント(my X)にたどり着けばそれで御の字、「目白押し」は豊かさの象徴ですね。秋から冬にかけて小鳥のメジロが枝に留まるとき、押し合うように横並びする可愛らしい群れの習性から来たと伝えられています。最新鋭のi-Padやスマホ欲しさに、君たちも早朝から店頭に立ったとき、寒風に震えながら「目白押し」に並んだことがあるでしょう?
     
なるほど、町のクリスマスは目白押しで賑やかに見えますが、しかしその始まりは貧しい人々の祭りごとでした。マタイ福音書(2章)が伝える三人の博士(星占いの学者先生たち)は特例枠として、ルカ福音書(2章)が語り伝える羊飼いの訪問や馬小屋での誕生物語で知られるのは、そのいずれも裕福ではない。その反対に、むしろ泊まる宿さえない、ひどく貧しい佇まい(ein mangelhaftes Wesen an jede Substanzen)です。神が人の子として生まれたという「受肉」(Incarnatio)の出来事は、神(無限者)がご自分を貧しくする(有限を受け入れる)事件でした。その意味で、神の存在が豊かさの記号であれば、クリスマスで話題となる人(幼子イエス)のそれは貧しさの記号ですね。人の貧しさの中に豊かさを宿らせた事件だったというのも、一通り理解できます。
他方で、私たちが自然の働きについて語る場合、自然の恵みを豊かさと言うことはあっても、自然の脅威を貧しさとは言いませんね。自然がギリシャ語のフュシスからラテン語のナトゥーラに翻訳されて以来、生成消滅の消滅部分が消えて、生成し産出する側面だけが注目されるようになった。科学信仰に後押しされた発展思想の始まりです。だから最近では反省を込めて、生態学的危機に対処するには、ギリシャ的自然理解(大地の経験)に戻らないといけないという議論が盛んになりました。ハイデガーも『芸術作品の根源』で翻訳の問題を取り上げ、ギリシャ語のヒュポケイメノン(基体)がラテン語のスブスタンティア(実体)へと訳出されたとき、ギリシャと「等根源的な経験」が無いままで誤って実体と訳された経緯を問い質し、これは由々しき問題だと指摘し、ローマ的思考(「ローマ法」の上に築かれたキリスト教神学・スコラ哲学的存在論)を公然と批判しています。「ギリシャ的大地の経験とローマ的世界の原闘争」とは、相当に挑発的な物の言い方ですね。「物とは何か」という問いが「歴史的」だとすると、ギリシャを頂点とした「芸術の終焉」を語るヘーゲルを避けては通れません。真理論を時間論との連関で論じる際に、ヘレニズムとヘブライズムの何かが混同されていないか、問題が再燃しそうです。
通常、サブスタンスのある人(a man of substance)は「裕福な人・資産家」を指していることからも分かるように、スブスタンティア(実体)は豊かさの記号です。スピノザが『エチカ』で《神もしくは自然》を語り、神を「実体」と言うとき、実体が豊かさの記号であることが示唆され、議論の大前提となっています。したがって、貧しさの側面が記憶面から消えていったのは、自然の成り行きと言えるでしょう。クリスマス神話を紐解く鍵は、「自らを貧しくする」と言うケノーシス論の課題、ずばり記号論的な意味合いを持つ神話的言語事件です。
にもかかわらず、クリスマスと言うだけで新製品の発表に「目白押し」の来客を期待して、商機を捻出し画策する為には形振り構わない、入れるべき肝心の目玉がない・眼目を坐視した商慣習にはうんざりします。せめても、人形のダルマさんに「目を入れる」ような、それなりにクリスマスらしい目玉(メルクマール)が欲しいものです。社会言論としては、「らしさ」を演出するコマーシャル論の課題ですね。目玉に当たる「それ」がないと、「諒解関係」に必要な信頼価値が失われます。
そこで、最後に諸君に聞きたい。豊かさを決める自然らしさ・本物らしさ・人間らしさ・自分らしさの「らしさ」とは、いったい何でしょうか?
ヒント:「らしさ」については手持ちの辞書や事典で調べること。自分らしさの指標、時の重さ(豊かさ)を量るには、エスの天秤にかけてみること。(前回のブログ参照)

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011, by 宮村重徳, the institute for Rikaishakaigaku

5 件のコメント:

  1. ハイデガーのレポートを書こうと思って授業中のメモを取り出してみたけどハイデガーの思想が難しくて書けない!(-_-;)


    ハイデガーの思想が学べるわかりやすい日本語の文献をおしえてください・・笑

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  2. 哲也さん
     お薦めできるものは、何もありません(笑)。日本語で書かれた入門書や解説書の類は一切読まないこと、(特に京都大学系の諸先生がお書きになったものを)読むとかえって頭が混乱します。ハイデガーはハイデガーのドイツ語で読み解くことが肝心です。Nichts lesen, was da angeboten sind. Paraphrasieren Sie nur, was da geschrieben steht!

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  3. ん?それでは困る?、どうしても「手引き」が欲しい?というあなたのために、二三ご紹介しておきましょう。
    1. 『ハイデガー(存在の謎について考える)』(北川東子、NHK出版)、ハイデガー哲学のエッセンスを簡潔に紹介。「なぜ、いま私はここにこうしているのか」と、自分の生き方の問題として問い直しています。
    2. 『ハイデガー入門』(竹田青嗣、講談社選書メチエ)、主著「存在と時間」を中心に、わかりやすく解説。但し竹田氏は、独自の現象学の立場から、評価されるのは前期ハイデガーの「存在と時間」までとし、後期ハイデガーは闇に包まれたまま棚上げされているので、注意が必要。
    3. 『ハイデガーの思想』(木田元、岩波新書);『ハイデガー』(同、岩波現代文庫)、「存在と時間」は挫折の記録、ハイデガーは壮大な西洋哲学史を構想していたと見る見方には説得力あり、今でも私の座右の書。ただ、文庫本でさえ読みやすいとは言えませんが。
    4. 『ハイデガー研究 言葉と思考』(岡田紀子、以文社)、「言葉への異常なまでの沈潜が後期ハイデガ-の思想に際立つ特色」とみる立場から、根源的な言葉の出来事に迫る威信の怍(論文集)。ドイツ語学科の学生にはお勧め。
    5. 『ハイデッガー「存在と時間」註解』(マイケル・ゲルヴェン、長谷川西涯訳、ちくま学芸文庫)、原書「存在と時間」を理解するのには最適の注解書。下手な入門書や解説書を読むより、役に立ちます。
    6.『近さと遠さ-ハイデガーの芭蕉との邂逅』(大島淑子、明治大学での講演、2003年)、「転回」後の後期ハイデガーを理解するには、これがベストの手引き書です。読みたい方は、直接私にお申し出ください。

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  4. 「らしい」を辞書で引くと「…によく似た状態である、相応しい状態である」 とあります。つまり定まった○○があって初めてその「○○らしさ」と表現できるわけです。しかし確固とした何かがこの世に存在するのでしょうか。万物は流転しています。自然はいわずもがな、本物だってふとしたことで偽物となり得るし、人間だって「自分は変化してなどいるものか」と思いがちですが、常に変化し続けています。ですから我々が何かに「○○らしさ」を認めるとき、その○○は単に○○の過去の一側面から現在の○○を推論したものにすぎないのです。そしてそのような不確実性を孕んでいる「らしさ」が、豊かさを決めることなどできるのでしょうか。それに決めさせてしまってよいのでしょうか。いま現在の、「○○らしさ」の○○そのものを無視して。

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  5. 人間の自己を含め万物は流転する。だから「実体がない」と、仏教では言っているのです。仮初めにも、実体がない自己イメージを振りかざすから、社会は右往左往して混迷に拍車をかける。通常○○らしさは(主観的な)期待値、社会学的にはそれを「予期」(Erwartung)と言います。たとえ予期されるものが相対的だとしても、人が予期に答えて行為すれば妥当するような経験則が蓋然的に存在する。ので、私たち人間は「諒解関係」を結ぶことができるのです。ヴェーバーの「理解社会学」のキーワードです。自分らしさなど実体がないからと言って、等閑にできないわけですね。予期される自己イメージが何かを考え行動するにも、本腰でヴェーバーと取り組む必要があります。

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