2011年6月4日土曜日

「諒解」なき政治の混迷、曖昧な言語経験のつけ

Die Armut der Politik ist in der Vergessenheit des öffentlihchen Seins.
【6月7日火曜日更新】 
死を恐れず、我が身を危険に晒してまで、原子炉の冷却を実行したのは誰なのか。饒舌な政治家のあなた達ではない。名もない末端の下級官僚たち、市町村の消防隊員や自衛官たち、加えて一私企業の東電社員たちではないか。如何なる風評にも狼狽えない、断固として信念を貫く政治家はいないのか。未曾有の国難を誰が予想していたか、言ってもらいたい。いったい誰が、自分なら場当たり的でない政策実行を断固としてなし得たはずだと、胸を張って言えるのか。誰もいない、一人もいない。谷垣さん・山口さん、聴いておいでか?
一度は、冷却用の海水注入の「中断」を言った・言わないの喧噪の挙げ句の果てに、原発所長独自の判断で、実際は「中断がなかった」ことが5月26日に判明するや否や、「いったい私は何だったのでしょう」(斑目原子力安全委員会責任者)で話は宙に浮いた。この度は、6月2日の代議士会前夜に、菅首相と鳩山前首相との間で交わされた合意文書の曖昧な「確認事項」で、退陣の時期について言った・言わないと大騒ぎ、文面にない退陣時期についての「期待感」を込め言い含ませて、「約束が違う、裏切った、ペテン師だ」と、被災者を度外視した果てしない泥仕合が続く。言葉にない(文面に明記されていない)ことで言い争うのは、愚の骨頂である。双方に、政治的存在(politisches Wesen)の義が余りにも曖昧で、不透明のままにやり取りされている。それは、社会言論の要が分かっていない、厳密な意味で「諒解」されていない証拠である。管首相の不手際・不器用さを責める前に、鳩山さん自身の早期隠退こそ望ましいという声さえ聞こえてくる。不幸なことに、鳩山さんは沖縄の普天間基地問題でも同じ過ちを犯している。不用意な言葉を漏らし、それが言質に取られて、沖縄を巡る政治状況が一変した問題をもうお忘れだろうか。せっかくの仲介がお節介に転じ、「いったい私はなんだったのでしょう」(ご自分の言葉)では、余りにも悲しい。鳩山さん、聴いておいでか?
新聞紙上に公表された合意文書の「確認事項」を読む限り、退陣の条件はそれなりに理解できるとしても、肝心の退陣の時期については一切触れられてはいないのだから、「約束が違う、裏切った」という発言はまるっきり見当違いである。自分の期待感(主観性)だけで相手を決めつけてはいけない。ただ、鳩山さんのお気持ちとしては、なるほど文面にはないが、何度もあなたに口頭でお伝えしたとおり、早期退陣の「期待」を理解し速やかに実行してもらいたい。つまり、行間の心情をくみ取り、発言の真意を理解してもらいたいということだろう。
しかし、「諒解」は「暗黙の了解」ではない。(相互)主観的に当てにされるだけの、曰く付きの「合意・協定」とも異なる。マックス・ヴェーバーに拠れば、「諒解行為は、合意した協定文書が無くても、有るかのように振る舞うこと。つまり、「他人がすることに予想を立て、それに準拠して行為すれば、経験的に妥当する蓋然性が客観的に存在する」という確信に基づいてなされる、妥当な「見積もり可能性」のことである(『理解社会学のカテゴリー』第6章、私訳)。菅さん、聴いておいでか?完読をお薦めする。
御尊父の鳩山一郎氏から受け継がれた「友愛」の精神にも拘わらず、心情倫理一徹だけでは政治結社を意の侭にすることは出来ない。ましてや、言葉にないことで政治家の責任倫理は果たせない。ここは、元代表の小沢氏自身が言うように、「今までになかった(退陣の)文言を取り付けた」のだから、それでよしとし十分とすべきではないか。
政治家にとっては、国民の「期待」を予想し、それを叶えることが第一要件である。政治家自身が舞台の主役であってはいけない。この点では、国民に奉仕する立場の官僚に見習えである。「官僚依存からの脱却」を詠うのであれば、聡明なエリート官僚以上の技巧や知恵を結集しないといけない。原発の利権(既得権益)に絡む組織(省庁の官僚・政治家・電力会社、三つ巴のの癒着関係)は、鉄壁である。これについては、次回論じる。
民主党が「官僚からの脱却」を願うなら、内部亀裂を恐れずに、先ず国民を味方に付けよ。その為に、一時も「主権在民・国民主権」の原則を忘れてはいけない。政治に於いては、一にも二にも市民・国民が主役なのだから。政治家諸君には、自らの言葉の未熟さを恥じて「謙る」ことを学んでいただきたい。不信を払拭できず国民に期待されない政治家は、肝に銘じてもらいたい。小沢さん、聴いておいでか?たとえあなたの目からするとぼんくら首相でも、手を惜しまず支えるべきであって、いつまでも背後でごねている印象を国民に与えるのは賢明ではない。何よりも、謙りの「証」として期待される、被災地復興と被災者支援の断固たる政策実行を、関係者各位にお願いしたい。
日本政治の脆さ・暗さは、言語経験の未熟さ故である。日本の社会言論は、啓蒙主義以前の未成年状態の段階にあり、未だに脱却の見通しが立たない。せめても態(わざ)とらしくない、自然な仕方で「諒解」し合う言語ゲマインシャフトの形成が強く望まれる。冷たい理性と感情文化、「上限の言葉と下限の無」(大島淑子『禅は別様に考える』)について考え抜く際に必要となる、天地開闢以来の「二重の扉に閂」(かんぬき)を付ける実践理性の政治美学的課題を見据えること、曖昧な希望的観測(主観性)の押しつけや恣意的に見積もられた「想定」枠(思惑通りの客観性)を捨て、怪しげな主観性の最終産物を括弧に入れて、「禅譲」を迫るにしても後追いでなく先駆的に身を挺して模索されることを期待したい、政治的情熱は捨てることなく冷静に討議され、真剣に己を捨てる・「已(すで)にとする」道(ケノーシスの実践)を平常底とするよう要請したい。あとは、仲介の労が無駄ではなかったと誰もが告白できるような、日本に於ける政党政治の新たな始まり・諒解ゲマインシャフト関係への「自己刷新」(Erneuerung des Selbst)を心より願うのみである。
政治の貧困は、主権が帰属する「公共的存在」の忘却にある (Die Armut der Politik ist in der Vergessenheit des öffentlihchen Seins.)。公共的存在とは、他ならぬ国民の存在である。その国民の目線では、否が応でも、不安の余り「公共性のマスクしたヒトの現存在」(ハイデガー)を顧みるに時を惜しまず、被災者のゾルゲ(憂慮)の理解と解決に万全を期すことに於いて、あなた達政治家の手腕・(政局に溺れない)政治の正義を裏付ける美徳(politische Tugend)が問われることになる。「黒子」(Souffleur, Kastengeist)に徹することがお嫌いな面々には、即刻バッチを外し(国会議員を辞職し)ていただくほかにない。復興が待たれる状況下での党利党略まがいの喧噪には、国民は「うんざりしている」(angeekelt sein)のだから。官僚依存からの脱却を夢・幻に終わらせないためには、どうしたらよいのか。官僚を黙らせ共感に追い込むほどの、インパクトのある政治劇が考えられよう。
見応えのある政治劇は、「社会言論の美学的課題」 (Ästhetische Aufgabe der Sozial-Rede)である。国会議員の諸君、せっかくなら、国民が納得し魅せられる「政治劇」をしなさい!志位さん・福島さん、聴いておいでなら、ぜひ仕掛けてもらいたい。国政刷新の仕掛け人には、渡邊さん・田中さんが一番適任だが… 国政を預かっている諸君が日本国民の叡智を結集して、天災・人災に負けない・挫けない国土復興のモデルを提示することで、グロ-バル世界を感銘と共感へと呼び込む得心の劇、不朽の歴史的価値を人類史の記憶に刻む、忘れがたい政治劇を演じてもらいたいと切に願う。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011, by 宮村重徳, the Institute for Riakishakaigaku

脚注: 文中「~さん」で言及した政党関係者(党首)の人名は以下の通り、
自由民主党(総裁) 谷垣禎一、民主党 菅直人(前代表:鳩山由紀夫、元代表:小沢一郎)、公明党 山口那津男、日本共産党 志位和夫、社会民主党 福島瑞穂、みんなの党 渡邊喜美、新党日本 田中康夫