2017年2月14日火曜日

権威への畏怖と混乱の果てに

やはり、権威の座に就く人次第ですね、国際社会全体がこんなに右往左往する、せめても瓢箪から駒を期待する人までいる。当世の世界政情は、トランプのアメリカン・ファーストで混乱する一方で、欧州ではメルケルのジャーマン・ドリームが沈静化する。難民たちが労働市場に定着するといいですね。
今回のブログは、スタニスラフ・アンドレスキー『魔術としての社会科学』(1972年)に注目します。
「権威が畏怖の念を引き起こす限りは、論理の混乱と不合理は社会の保守的傾向を助長する。第一に、明晰かつ論理的な思考は知識の蓄積を齎し(自然科学はその好例だ)、知識の躍進がいずれ伝統的秩序を掘り崩すものだ。ところが他方では、混乱した思考は特に我々をどこかに導くわけでもない。その分気楽に留まることが出来るが、それは世界に何の衝撃も与えない。」(熊谷訳を修正、私訳した)。何の感動も衝撃も与えないとはどういうことか、よく考えてみてください。

2017年2月1日水曜日

「塗りつぶし現象」の果てに見えてくるのは

故事に、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」(He who hates Peter harms his dog.)とある。ドイツ語では、Jemanden wie die Pest hassenくらいしか思い浮かばないが、英語の文例には事欠かない。最近のハイデガー情報は、黒一色にベタ塗りの傾向にある。ウィキペディア・サイトがその典型だが、何が何でも黒づくめにしないと我慢ならない人たちによる、塗りつぶし現象と云える。Blacking outで、背景を黒で塗りつぶす。Blotting outとすると、全体を黒塗れにすること。Blot outは、インクなどの染みを付ける、名声や風景に恥となる汚点を付けることである。尊厳性を貶めても、まだ修正可能な状態にある。これがDaubing with blackとなると、膠(にかわ)で塗り付けて、黒い染みが剥(は)がれないようにする。剥いでも痕跡が残る。
ナチス政権時代の悪夢を払拭する為に、事実関係をよく確かめもしないで、疑われる関係者の名前を冠した通り名や住所名を書き換えるか削除する動きが、ドイツの各地で最近目立つ。バーデン州のフライブルクにある「ハイデガー通り」の改名もその一例である。これも塗り潰し現象の波及効果と云える。因みに、人目に晒すと都合の悪い書類の一部が塗りつぶされた文書をmasked Documentsという。ドイツ語ではmaskierte Dokumente, 謂わばdas Man”(世人、アノニマス)好みの文書保管形式である。
 一言だけコメントしておくと、「存在の真性」を問うたハイデガーの思惑とは裏腹に、青年時代を戦時体制下で生きた環境との係わりだけで、真理への問い自体を不問とし、記憶から葬り去る行為に等しい。冷静なハイデガー評価は、同時代の哲学者オイケンやその直弟子シェーラーと比べることで、しかも絶対比較級でのみ言い表し得ることだろう。「情に棹させが流される。知に働けば角が立つ。」(夏目漱石『草枕』の冒頭にある言葉、1906年、青空文庫)。しかし、ネットに流されている情報だから確かだと勘違いしてはいけない。原書を手に取り、読んで自らの目で確かめよ。他人の文言を借用して、あたかも自分の意見であるかのように主張してはいけない。根も葉もない情報を鵜吞みにしたり、有らぬ風評に流されたりしてはいけない。ネット上のご意見番を信用するな。その為に何が必要か、与えられた自分の悟性を使い、自らよく考え、噂の因果関係を確かめ、発話の真偽を判断せよ!いわゆる『黒ノート』(Martin Heidegggers Schwarze Hefte, Suhrkamp, stw2178, Berlin 2016)に目を通した限りでの取り合えずの読書感想文として。
201721日(水)、Shigfried Mayer(宮村重徳)、三郷にて