2013年7月27日土曜日

鉋削りの花鰹、色味出して迷いなく

【7月30日(火)更新】
  参議院選挙の戦いは、社民党や民主党にとって亡国の調べだったのでしょうか。それとも、(みんなの党や共産党のように)元気印の持ち直しを図るきっかけは掴めるでしょうか。削り節の味わい深い庶民的政策、国民的センスを理解する政党の復活・立て直しを期待したい。「官僚依存からの脱却」を謳うには、まだ不器用で未成熟だったという強い反省を込めて ...、

水無月や、鉋削り(かんなけずり)の花鰹(はながつお)、色味出して何の迷いなく
(短歌:安行鴫子、文責:シュテファニー・クレメンス)

2013年7月15日月曜日

ビッグデータの鉋屑より、切り株の木目となれや一本松

   Achtung vor einem gekauften Beifallklatscher!, [11. December 更新]
 
 今流行(はやり)の便利な情報機器を手にしながら、大切な個人情報をビッグデータの鉋屑(かんなくず)にされないようにするには、何をどうしたらよいか。誰もが不安であろう。ビッグデータとは、消費者行動を追跡した膨大な生のデータで、一見脈絡のないデータを分析して、新たなセールスチャンスを生み出すよう巧みに加工される。消費者の個人情報が含まれるので、当然セキュリティー維持と個人情報保護の面で、管理には多大なリスクが伴う。注意すべき点をいくつか挙げる。
 個人の履歴を残さない。その都度削除するか、予めプライベートプラウザにしておく。それでも、特定のサーバーにアクセスした・しなかったの履歴がクラウドに残るので、利用を禁止する手立てはない。個人の存在価値は情報で決まるものではないが、左右されるケースが多いので要注意だ。個人情報が漏えいした場合(それ自体あってはならないケース)に備えて、法的に訴える権利を有することを覚え、決して諦めないこと。漏洩する側が匿名の場合は訴追のしようがないが、企業相手なら事情が異なる。
 消費者である個人の位置情報や趣向情報を収集し管理する企業に対しては、①通知(Notice)、②同意(Consent)、③透明(Transparency)の三大原則に沿って、消費者に対して明瞭で判断しやすいポリシー提示の上、プライバシー保護を実践していくことが強く求められる。しかし、「一般的同意」では曖昧で不確実、「暗黙の了解」と混同されやすく、容易に騙される。今一度、個人と集団を束ねるネットワーク時代の「諒解行為」(Verständnis-handeln)がどうあるべきか、よく考えてみて欲しい!
 ビッグデータだから信憑性(Authenticity)があるとは言えないが、データサイエンティストの腕技次第で価値ある生の情報源となりえる。無作為に混入している「さくら」情報([act as] a Decoy, ein gekaufter Beifall-klatscher)を疑っていたらきりがない。ツイッターにしても然り、任意の会社が付加価値を持たせて発信した「やらせ」ものでないか、ネット選挙に関しても然り、政党が選挙用に流している情報でないのかどうか、吟味すべきは当然であろう。そもそも、ビッグデータは情報の共有価値・金銭的な交換価値を考えて機械的に吸い上げられたものが多く、公共性の名目で政党や企業の利便性が優先される限り、個人の要件(人格の尊厳性)は後回しにされるので、セキュリティーは保障外であろう。
 それでも、君が政治家なら「主権在民」の原則に立ち返り、国民一人一人の関心と存在価値を多様に束ねるモノの働きを、ビッグデータに読み取りカスタマイズすることで、共感の波を起こす的確なメッセージを創案することができようが、公私混同の危険は常に付きまとう。国民諸君に対しては、機械的なロボット検索を信用するな!巧妙な囮サイト(後見人になりすました政党や企業、宗教団体)に判断を委ねず、与えられた悟性を使ってよく考え自ら分別せよ!と言っておきたい。ビッグデータの鉋屑となるより、切り株の木目となる勇気を以て。最後は、君たち自身が生のデータを織物にして発信する存在(ヴェップ上の主権者)であればいい。陸前高田に残った「奇跡の一本松」のように。すると、君たちを抜きにして為政者は何もできない、君たちの声を無視しては誰も語れなくなる。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku

2013年7月11日木曜日

窓はあってもトイレがない、経済のジレンマと社会の断末魔

【7月13日更新、参院選へ向けて】
 ニューズウイーク誌のコラムニスト池田信夫氏が、2012年10月19日の「エコノMIX異論正論」で、原発は「トイレのないマンションか」と問うておられる。かつて「夢の燃料」とまで持て囃された原発だが、無限に増え続ける汚染された排泄物、見えざる無臭の危険物を収納する専用トイレがない。もはや「トイレのないマンション」では済まない、誰もリスクを負えない最終レベルの問題を提起している。高レベル放射性廃棄物を「地層処分」する・地中深くに埋めるというのは、「仮設トイレ」の話である。すぐ満杯になることは目に見えている。私見だが、このまま原発を稼働させることは、一時的な経済的利便性と引き換えに、生命の惑星である地球という大地を「地雷原化」するようなものだ。いつどこで暴発するか誰にも予想できず、被害の規模も想定不可能である。まずもって一万年単位のシナリオを想定し管理する能力は、今の人類にはない。トラウマとなるリスクだけがあって、人類滅亡の引き金とならない保証は全くない。窓はあってもトイレがない、経済のジレンマは社会の断末魔である。
 第二次阿部内閣が推進する「三本の矢」を旗印にした経済と金融政策、いわゆるアベノミクスは、デフレ脱却を名目として「政官業一体」で為されている限り成功しているように見える(確かに、「官僚依存からの脱却」を目指していた民主党政権にはできなかったことだ)が、最後は「なし崩し」の原発再稼働容認でいいのか。原発インフラストラクチャーのトップセールスマンを演じる阿部氏の真意が問われよう。今回の参議院選挙では、他でもないそこが第一の争点であり試金石となる。人として生かされている「存在の尊厳性」と社会保障、それ以外(ねじれ国会解消やTPP参加など)はさしあたり二次的か枝葉末節のたぐいである。
 忘れてはいけない。東日本大震災は自然災害の域を遥かに超えていた。東京電力福島第一原発事故で露わになった通り、紛れもない「人為的災害」だった。そうではないか。未だに避難生活を余儀なくされている多くの福島県民の苦痛を尻目に、「あたかも何もなかったかのように」立ち振る舞い、省庁の経済利権と金融政策を最優先した将来のツケを国民(次世代の若者)に背負わせるべきではない。トイレのないマンションが嫌なら(当然ではないか!)、君たちは断固としてノーを言い、良心的拒否権を行使する必要がある。未来社会は君たちの手中にある、選ぶ権利の行使によること、棄権してはいけないよ。
 最後に、福島原発事故の最前線で陣頭指揮をとられた吉田元所長逝去の悲報に接し、衷心より氏のご冥福を祈りたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyrights © all reserved 2013, by the Institute for Rikaishakaigaku

2013年7月3日水曜日

お色直しに織姫の憂鬱、「よいしょ」せずアンガージュすれば...

【7月7日(日)、七夕、更新】
 以前からそうでしたが、今でも読者の皆様からたくさんのご要望を頂いております。ブログ開設三年目の七夕(たなばた)のよき日に、わたしたちはこれまでと違った双方向性を円滑にする工夫の必要性を感じています。せっかくの「理解」社会学なのに、語彙が哲学的で理解するのが「難しい」、記事がとにかく「長い」、話題が「硬い」・敷居が「高い」といった一方通行のスタイルを改め、今後はツイッターでも追えるように「より短い」、スマートフォンでもキャッチできるように「わかりやすい」、フェイスブックでも共有できるように「乗りやすい」ソフトな話題を織り交ぜ、誰でも参加(アンガージュ)できる開放的対話スタイルに、随時切り替えていきたいと考えております。「理解社会学の工房」に投稿されるブログ記事をご愛読くださいますよう、今後ともよろしくお願い申し上げます。

よいしょせず、アンガージュすれば織姫の、お色直しに一雨雫(ひとあめしずく) 
(短歌:安行鴫子、文責:シュテファニー・クレメンス)
        Anton Kolakovski, Stefanie Clemens, Shigfried Mayer