2012年12月17日月曜日

「脱原発」にそっぽを向いた「民意」の不思議

衆議院選挙の結果が出ました。57294ですか。これほどまでに民主党が大敗し、これほどに自民党が大勝するとは、予想外でしたね。世論があれほど騒いだ「脱原発・卒原発」にそっぽ向をいた民意の不思議、「ふわふわ民意」の正体は、何だったのでしょうか。悲惨な福島原発事故など、国民はもう忘れてしまったのでしょうか?阿部さんの新政権では、原発の見直し評価が予想されたことであるのに。
上の空(うわのそら)、脱原発はふわふわの、民意秋波の揺り戻し(拙句)。
よりによって、これまで官民業一体の原発推進派であった自民党に、これほどの秋波が押し寄せようとは、消去法の選択だったとはいえ、天神様も雷神様もきっと腰を抜かしておられるに違いない。デフレ脱却・景気浮揚を願うあまりの、衝動買いにも似ています。やはり、政治的存在を動かしているのは、貨幣魔神のレビヤタン以外になかったと、言えるかもしれませんね。思わぬ疑似信奉者の出現に、ホッブス自身も迷惑顔で苦笑していることでしょう。
選挙の結果から判断すると、民主党が「公約を実現できないことへの失望だけでなく、党内対立にみられるガバナンス(統治)のなさが世論の離反を招いた」(81%)、それが主たる敗因です。鳩山・管時代の負の遺産を引きずったまま、離党・脱党の波を止めることのできなかった民主党の内部事情と、これにデフレで足かせ状態の経済と外交の諸要因が相まって、維新願望や自民党の政権復帰を期待する国民の思惑と一致した捩れの結果が、昨日の選挙結果に反映されているのでしょう。
加えて、脱原発を謳う政党の乱立で、国民は消去法で臨んだ。つまり、紛らわしいほど似通ったもの・同類項を整理し文字の一方を消去することで、違った路線を主張するものだけが後に残されたわけです。消去法は、連立方程式の解法として広く知られているので、皆様もご存じでしょう。出口調査で分かるように、国民は自民党の政策を評価したから(わずか7%)というわけでなく、阿部さんを首相に望んでそうしたわけでもありません。消去法で選択すると、それしか手許に残らなかった、というのが真相だったようです。
 すると、決断の政治をモットーに戦った野田首相は、さながらレビヤタン(官僚の主)に立ち向かう現代政治のヨブか、踊り場に出てきた石原慎太郎氏や阿部総裁は、まるでセルバンテスの『天路歴程』に登場する、仮想敵の風車に挑んだ騎士ドンキホーテのイメージを思わせもしますが、ヒーローはいないということになります。
反省点はないでしょうか?マニフェストを金科玉条のように振りかざすと、やおら公約違反の金縛りにあい、無用な言葉狩りに終始します。日本政治の弱点は、言語の限界です。マニフェストの文言は目標設定に過ぎません。言葉にして盛られて無かったことを真摯に受け止め学習する態度こそが大事、遜った政治家の真骨頂がそこに有るはずです。言葉と無に対する覚悟性を新たにして、政界の仕切り直しと国政の再編をしていただきたいと切に願うものです。
ここにきて黒子も赤恥雪だるま、で話を終わらせないために何が必要か、皆さんのご意見をお聞かせください(12月19日更新)。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights all reserved, the Institute for Rikaishakaigaku

2012年12月13日木曜日

迷っている君に贈る、選びのヒントとチェックポイント

 衆議院選挙が目前に迫っています。どの党にすればいいか、誰を選んだらよいのか、何が選挙の争点なのか、わからず困っている君に、考えるヒントとして発問形式のチェックリストを以下のように作成してみました。ご参考になさってください(12月16日改訂版)。

1.候補者は選挙の争点を曖昧にしてはいないか。目下の争点は、民主党・自民党・公明党の三党合意で成立した「社会保障と税の一体改革」の扱いを今後どうするのか。具体的に、「決める政治」を継承できるのはどの党なのか、それについて国民の信を問うことです。もちろん、政権交代後三年間の民主党政治の評価に関わることは、言うまでもありません。ただ、マニフェスト作成時に見えていなかった点を真摯に反省し、官僚依存脱却や財源確保の失敗に学びつつ、マニフェストに盛られていなかった重要政策を敢えて取り上げ、妥協の末に法案成立を成し遂げた点をポジティブに受け止め「よくやった」と評価するのか、それともネガティブに公約違反と受け取り「けしからん」と批判するかは、君たちの判断に委ねられています。膨れ上がった赤字国債を抱いたままで、もしこれが成し遂げられなかったとしたら、経済大国としての国際的信用が失墜し、どんな末恐ろしい結果を招来していたか、併せて考えておく必要があるでしょう。
2.候補者は選挙の争点をすり替えてはいないか。候補者の関心からする恣意的な焦点の移動、たとえば、憲法改正や国防軍の設置など、意図的な刷り込み・紛らわしい誘導がないかどうか。受けのいい人柄や癖のある論調にはくれぐれもご用心。デフレにより先細りする日本経済の景気対策(38%)と年金・医療(23%)、震災からの復興(7%)、先鋭化する外交問題(4%)は、緊急の政治課題であることは間違いのない事実ですが、今ここで焦眉を争う選挙の争点ではありません。候補者の語る言葉に、はたして「存在の上限」が見据えられているかどうか、そこが問われています。
3.候補者は脱原発のスローガンを本気で考えているのか。腰を据えよく考え抜いて政策立案をしているのか。それとも選挙のために、党利党略のスローガンを掲げているだけなのか。具体的な代替エネルギー(7%)や電気代高騰への対策・工程表の提示も用意しないで、きれいごとを並べあげて手前勝手なことを言っているだけではないのか。脱原発で、ずばり「下限の無」への覚悟性が問われています。そこから、政治家が語る言葉の表裏、嘘を見抜く必要があります。

 就活や婚活世代の君たちが、政治的存在に関心を抱いて、自分たちの意思を政治社会に反映し、率直な意見を突き付けることから始めないと、明日の日本は暗いまま沈むほかない。誰を君たちが選ぶかで、その候補者の所属する党首が次の総理大臣になることを、しっかりと心に留めて、選挙に臨んでください。棄権してはだめですよ。自分のためです。

Shigfried Mayer (宮村重徳), copyrights all reserved, the Institute for Rikaishakaigaku

2012年12月12日水曜日

時節因縁の大事なお知らせ

 クリスマスを一週間後に控えた16日は、大事な衆議院選挙日に当たります。わたし自身、本年度の4月より、三足の草鞋を履いて東奔西走する多忙な毎日を強いられてまいりました。そのために年末の行事日程が目白押しになっており、諸研究会は日程変更を余儀なくされました。次週予定のハイデガー研究会は、第5日曜日の1230日午後5時からに変更いたします。場所はいつもの北千住駅前東口にあるカフェ・サンロード、時節因縁の開花を待ったこの一年の総括をします。
理解社会学研究会のメンバーも、時間の許す限りお越しください。ハイデガー哲学と政治のスタンスを、ヴェーバー理解社会学との関連で解き明かしながら、わいわいと和やかに年を越すのも悪くない。選挙の結果がどうであれ、表層世界の喧騒を超えて、政治的「存在」を暗くしたり光らせ輝かせる何か、働くモノのエスが見えてくるかもしれません。どなたでも関心のある方はお越しください。初めての方、一同心より歓迎いたします。

Shigifried Mayer(宮村重徳), M. Anton Kolakovski, Steffi Clemens

2012年12月3日月曜日

マスクに黒子、ほくろの点移動について

【12月15日、更新版3】
先行き不透明な今回の衆議院総選挙について、田原総一郎氏がさりげない言葉で、意味深長なコメントをしている。
 「嘉田さんというピュアな人を看板にして、バックには一癖も二癖もある人たちが集まった格好だ。クリーンイメージの嘉田新党で彼らが黒子に徹することができるかどうか。嘉田さんはそうした新党をまとめ議席をどこまで伸ばすことができるか。不安は残る。」(日経BP Net Mail 12/03、田原総一郎の政財界「ここだけの話」:「 守りの民主、攻めの自民。クリーンイメージの嘉田新党は大丈夫か」)  //引用終わり

すでに前回のブログ(「失敗した政治主導の駆け込み寺」)で指摘しておいたように、混乱した政局の原因は、官僚依存脱却の失敗にあった。その反省に立って民主政権3年の評価に絡み、今回の選挙がある。今回の選挙戦の特徴は、政治と官僚の閾を横断するマージナルな争いとなっている点だ。
嘉田さんだけでない。石原さんも橋下さんも、被るマスクは政治家であり(前または現)知事である。知事は選挙で選ばれた特別職の地方公務員、国家試験に合格して各省庁に配属されたエリート官僚と異なることはもちろんだが、選挙で選ばれた国会議員や地方議員に比べると、公務員である限り官僚の一員である。知事は地方自治体を指導する立場にあり、地方官僚を代表してその職務を遂行する。働く場所が中央であれ地方であれ、官僚の位が上級であれ下級であれ、国家公務員には黒子に徹して国民のために自分を捨て、公共的職務(公務)を全うする責務がある。知事に国会議員との兼職が禁止されている点を除けば、責務はほぼ同じである。
それに対して政治家(国会議員と地方議員)は、黒子であるより政治の表舞台に立って陣頭指揮を執り、必要にして有効な政策を練り実現する緊急性の高い課題を背負っており、官僚依存は建前上もご法度か本音では保身腐心の隠れ蓑にされていることが多い。
日本未来の嘉田党首がいくらピュアなイメージのマスクをしていても、曲者ぞろいの政治家たちを同じ屋根の下に纏めきれるのか、それとも彼ら(小沢グループ)に逃れ場・隠れ家を提供することで、本音では頭角を現したい連中の勢いに飲み込まれるのか、今のところすべては未知数であり予断を許さない。政治家と官僚が旧来の依存し癒着した利害関係を改め、今が取り直し・仕切り直しの時であることを思えば、即断は禁物である。小沢さんが嫌われ阿部さんが好まれるのもマスクしだい、というのも困ったことだ。党首自ら黒子となって働くモノに徹するのは、いったいどちらだろうか。大衆受けする甘いマスク(ポピュリズム)に騙されてはなるまい。脱インフレを、戦争特需で解決できるといった期待を抱かせるのは、挑発的で危険極まりない。
ところで、「黒子」とは何だろうか。黒子はヘルパー、芝居の晴れ舞台で演じる主役を背後で支えるわき役である。「黒子」が表舞台に出ることはまずない。出たら本末転倒で、その時点でお芝居はお終い、映像画面はカットされる。「黒子」はフランス語でスフレーァ(Souffleur)、主演者が台詞(セリフ)を忘れないよう、背後でセリフづけの役割に徹するのみ。ドイツ語では ein schwarz-gekleideter Bühnenhelfer(ビューネンヘルファー、直訳で、黒装束のステージヘルパー)。某辞書にKastengeist(カステンガイスト、上流階級の「社会偏見」)とあるのは、ちょっと理解しがたい。これではまるで、語源がカースト(階級制度社会)の排他意識と直接関係があるかのようで、無用な誤解を生じる。
漢字の黒子には、そういった意味合いはない。三省堂の『全訳・漢字海』によれば、黒子は本来マスク(面)の「ほくろ」という意味、地図の上では「小さい土地」、太陽の黒点が例に挙げられている。転義的に「黒衣の人」、つまり黒衣を纏った仏僧の総称でもある。官僚であれ政治家であれ、自分(私心、党派的エゴ)を捨てて国民に仕える、それなりに「黒衣の人」であることに徹することができるかどうか、政治的「存在」の真意が問われる。そこが、仕切り直しの試金石となろう。師走の選挙では、脱原発が本心から出たものかどうか、党首のマスクをよく見破り、黒子たちの動向(=ほくろの点移動)をしっかりと座標に見極めたい。
話を本題に戻すと、黒子(省庁のエリート官僚)が利権を占有する構造に誰がメスを入れることができるのか。すでにドイツで実験済みの、脱原発を謳えば当然電気代の高騰が見込まれる、その結果国民の負担が増大する厳しい状況にどう対処するのか、立候補の説明責任が問われよう。デフレを脱却するにしても、クリーンなエネルギー政策を打ち出すにしても、基本は原資のエネルギ-(x)を商品のエルゴン(y)に変換する、一次関数(y = f (x))の知恵比べ、猿まねでない、ホモサピエンスのすることである。必ずどこかに、マージンを操作する隠しの切り札=切片(+b)のプラスアルファーがある。まずは、お手並み拝見と行こう。
 Shigfried Mayer, copyrights all reserved, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku