2012年5月29日火曜日

内憂外患の友に、何をそんなに急いで終わらせたいの?

Über den beeilten Selbstmord, oder die Kunst, mit dem Nichts anzufangen.
【6月5日(火)更新、改題】
 寄せては返す波の飛沫(時は命の働き)浴びるのを内に感じながら、色めき立ち其処に突っ立った侭でどうするの?波に攫われまいと足踏ん張って、帰らぬ人となったあの子の分まで生きなくちゃと、自然の疾風怒濤に逆らって一人息巻いてどうするの?人類(ヒト)が憎いから自然(モノ)は天災地変を起こすわけでないことを承知しているのに、(権力とカネに物言わせ)突っ張り合ってどうするの?力任せでは到底自然の勢いに勝てない、闇勢力に力で叶わないと分かっているのに、壁に頭をぶつけてどうするの?就職難の今がヒトとして生きる「道」の初めに過ぎないのに、「待つ」ことをしないでどうするの?自分の壁となって働くモノとどう向き合うか、内憂外患で八方塞がりに見える今が、「無で始める」生の技法を学ぶまたとないシャンスなのに、何をそんなに急いで終わらせたいの?…
 「無で始める」禅の話が難しい?なら、この工房で一緒に茶を啜りながら、安心して壁観するダルマを尋ね、平常底で自分と向き合う仕方を学んでみませんか。目線を変え、「神もしくは自然」(スピノザ)について語り合うのもいい。君の捜し物が何か知りたいな。自分の捜し物が分からないか、探しても見つからなかったのなら、その時の挫折感或いは失敗談を聞かせて欲しいな。ブログで公開されるのが嫌なら、別途にメールにてお伺いしてもいい。自ら語る(告白する)ことで、大抵は癒されるか解決します。ただ社会学的には、自分とは内外のゲマインシャフト(共同体)を意識したスタンスなので、歯切れのいい人格理論とは異なり、一筋縄ではいきませんが...だって仮初めにも、苦渋の自他関係(負の連鎖)を終わらせるのが君の目的であって、決して生命の営みそれ自体を絶つことではないはず、でしょう?一度は自殺を考えてことがある諸君の、率直な意見を聞きたい。


Shigfried Mayer, copyright all reserved 2012, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku Tokyo

2012年5月14日月曜日

重要なお知らせ

Wichtige Nachrichten
  ヨーロッパでの講演旅行のため、しばらくお休みいたします。当理解社会学研究所のブログ閲覧および書き込みはご自由にどうぞ。
次回のブログ主題として、就職活動失敗に端を発する青年たちの「自殺」の問題を取り上げる予定です。その準備を兼ねて、同世代人である諸君の気持を伺っておきたい。死ぬほど辛い・死ぬほうがましだと君たちが思っている、或いは一度は思ったことがあるとすれば、その理由を述べてください。返答は十日後を予定。

Shigfried Mayer

2012年5月1日火曜日

新型うつ(鬱)の社会原因、苛立つ自分の曖昧さ

Wie mit der Melancholie umzugehen ist, in bezug auf ihre soziale Ursachen
【5月4日(金)更新】
 うつ(鬱)は心の病で、精神活動が極度の不調に陥った状態を指しています、英語やドイツ語でメランコリーと言うので、誰でも一度は聞いたことはあるでしょう。精神医学では「気分障害」と言い、統合失調症に並ぶ二大疾患の一つですね。気分が高揚すると躁(そう)に、落ち込むと鬱(うつ)になり、山あり谷ありの両極を上下し繰り返す特徴があります。何らかの原因で寂しい・悲しい・虚しい・罪責観に苛まれるなどの気分から、勉学や仕事へのやる気が起きない・集中できない・物事に関心が持てない・感動できないなどの意欲の低下を引き起こしています。一般に、どちらも原因と発祥のメカニズムははっきりとしないとされていますが、恐らく心身のアンバランスから生じることで、疲れやすい・食欲が低下する・眠れないなどの身体面での不調と深く関わっているのではないかと思われます。心理学的な説明は芳賀さんにお任せして、ここではその社会的原因について考えてみたい。
 最近のニュースで話題となっている「新型うつ」は、なるほど症状面ではよく似ていますが、社会原因がややはっきりしているので、同じレベルで片付けることは出来ないと思われます。なぜなら、今の若い世代は昔の人のように責任感の重圧から強いストレスを感じてうつに陥っているのではないからです。社会に適応できない(自分の性や職場にミスマッチである)のも、一種の性格の弱さ(未定義の自己)から生じており、苛立つ自分というものが曖昧であるために陥っている状態、つまり苛々して切れやすいのも、相変わらず後見人に依存した自らの「未成年状態」(カント)と深い関わりがあるのではないでしょうか。
 だから、たとえそう見えるとしても、「自己中心的」という批判は当たりません。むしろシェーラーの言葉でいうと、内奥的人格(Intime Person)も社会的人格(Sozial-Person)も曖昧で未発達なために、未だに自分を探しあぐねている、苛々の原因は其処に始まっている、ということではないかと思われます。その背景には、「ゆとり教育」政策や「新学力観」の影響から、自分で仕事をやり抜く経験の欠乏や自己肯定感の低さと関係してもいるでしょうし、対人関係のスキルの無さや自他の失敗から学べないというのも、学べるはずの場所を奪われたか見失っている、早々に放棄しているせいでしょう。具体的には、親子関係の希薄化や核家族化(家庭崩壊即自己環境の破壊)に起因すると言えます。大学では、個別の問題解決を助けつつ自立の意識を高め、会社では個々に見合った仕事造りを助けつつ、忍耐強く丁寧に職場教育をしていく必要がありそうです。
 理解社会学の工房でも、本腰を入れて、「家族社会学」を展開する必要がありそうですね。準備が出来るまで、今しばらくお待ちください。さしあてりここでは、諸君の率直な意見を聞くことから始めたい。

Shigfried.Mayer, copyright all reserved 2012, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku